橋本病と私

3.それでも進む、光を探す道【前編】

2025年7月22日

夫の支えで、私の中に確かな心の拠り所が生まれたように感じていた頃。

これで病と向き合える。そう強く思えた、まさにその矢先のこと。

初めて病名を教えてくれた内科の先生の言葉が、私の心を深くえぐりました。

「この病気は、もう一生治すことはできない。付き合っていくしかないんだよ。」

その言葉は、まるで未来を閉ざされたようでした。

病の正体がわかって安堵も束の間、私は絶望の淵に立たされたのです。

一生続くという事実に、心が凍りつきました。

せっかく見つけた心の光も、たちまちかき消されてしまうかのような感覚に襲われたのです。


あまりにも大きな衝撃でした。

病と向き合うことすら、諦めそうになっていた私。

でも、そんな私を夫がそっと励ましてくれました。

その言葉は温かく、私の心に響いたのです。

「今、聞いていることが、全てではないかもしれないよ。他の意見も聞いてみない?」

夫の勧めに背中を押され、私は病院を変える決意をしました。

今度は、甲状腺の専門医を探してみよう。

そう心に決めて。

「甲状腺機能低下症」や「専門医」、あるいは他の関連する言葉を調べる中で、「耳鼻咽喉科」という言葉が目に留まったのです。

地元で評判の耳鼻咽喉科で診てもらえるかもしれないと期待をして、その病院を訪ねてみました。


しかし、診察室で告げられたのは、「専門外なので、ここでは診られません」という言葉でした。

期待は、音を立てて崩れ落ちるようでした。

それまでの不安や絶望、そして苦しみがあふれ出し、涙が零れ落ちたのです。

私の涙を見て、耳鼻咽喉科の先生はさぞ驚かれたことでしょう。

ですが、困惑しながらも、私の話に静かに耳を傾けてくださいました。

そして、穏やかな声でこう言ったのです。

「そうでしたか…。それなら、地元の甲状腺専門医を紹介しましょう。良い先生がいますから。」

その温かい言葉と共に、一枚の紹介状を手渡してくださいました。

それが、私の今の主治医との出会いです。


主治医の診察は、とても丁寧なものでした。

私の話をじっくりと聞いてくださり、これまでの経緯や心の状態にも、深く耳を傾けてくださいました。


診察室で告げられた『抑うつ状態』。

心の奥底に隠れていた本音が、ようやく姿を現した瞬間でした。

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